湖のほとりで 〜シルミオーネ

しばらくヴェニスを楽しんだ私は、そろそろ次の場所を目指すことにした。
さてと、どこに向かおうか。朝食のカプチーノを飲みながらいろいろ考えをめぐらす。
そういえば友人が「コモ湖は、この世のものとは思えない美しさだった」とため息もらしてたっけ。よし、この目で確かめに行こう。
善は急げで船に乗り、親しんだジュデッカ島をあとにすると、早速ヴェニスのサンタルチア駅から西の地ミラノに向けて出発した。ミラノからコモ湖へはさらに在来線に乗り換えて行くらしい。
今度は運良く列車の個室に座ることができた。というより、悪天候のせいか、6人掛けにひとりぼっちという淋しさだ。しばらく『地球の歩き方』のコモ湖のページに没頭する。ふと顔をあげると、まだ15分しかたっていない。周りに誰もいないのは、結構退屈できつくて、向いの座席に脚を置いたり、ころんと横になり寝返りをうったりしながら、「まだかなー、まだかなー」と根性なし丸出しでつぶやいてみる。そして、自分自身が想像以上にじっとしていられない人間だという事に気付く。

で、なんと、ミラノまでの半分の地点でギブアップして列車から降りてしまった。そこは、またもやヴェローナ。ロミオが手招きしているのか、どうやら私の旅について回る因縁の地らしい。しかし!ここでの下車にはれっきとした理由があるんですよ、今回は。この付近に、もうひとつの湖「ガルダ湖」があるのをこのガイドブックで発見したんだもんね。
ガルダ湖付近は地中海性の温暖な気候で、なんと温泉まであるという。
「コモ湖もガルダ湖もいっしょ、いっしょ」
自分のひらめきに満足しながら、早速ガルダ湖畔のシルミオーネという街にあるホテルに予約を入れる。
午後2時半、雨の中無事「ホテル・グリフォーネ」到着。
シルミオーネ1
2つ星ながらなかなかチャーミングなホテルで、案内された部屋のカーテンを開けると眼下に湖が海のように大きく広がっている。
ここシルミオーネはガルダ湖の南に位置し、ちょうど湖に刺さったトゲのような場所にある。
ベニス~2

少しベッドに横になって波の音に揺られていると、心地よさからそのままぐっすり寝入ってしまった。
夕方7時、教会の鐘の音で目が覚める。
フロントで傘を借り、近所を少し散歩してみた。まだ辺りは明るい。
散歩していてわかってきたが、この細長い半島は両サイドに湖畔を携え、想像をはるかに越えたロマンチックな場所だった。1人で滞在するのは勿体ないような気になってくる。

夕食は一階のガラス張りのレストランで、小えびとセロリのサラダ、ボンゴレ・スパゲッティ、そして白ワインの小さなボトルを注文した。湖のほとりだけあって、ボンゴレは涙が出るほどおいしかった。
周りはカップルとファミリーで賑わっている。1人でいる唯一のお客を気遣い、ボーイさんは何度も訪れては陽気に声をかけてくれた。
この夜、lago(湖)・sazio(お腹いっぱい)・felice(幸せ)という3つの素敵なイタリア語を彼から教わった。
波の音を聞きおいしいパスタとワインに舌鼓をうちながら覚えたこの言葉はずっと忘れないと思う。体で覚えたイタリア語だものね。
残ったワインを部屋で飲みながら、私は、この旅がもともとガルダ湖を目指して計画された旅のような気になってきていた。



シルミオーネ2

翌日は雨も上がり、澄みきった青空が広がっていた。
朝、近くのボート乗り場で客を待つおじさんをスケッチした後、憧れの温泉に向けて出発した。シルミオーネは古代ローマ時代の温泉地で遺跡やお城も点在している。
実は、イタリアに着いて一ヶ月、湯舟に浸かっていない。フィレンツェの住まいはシャワーだけだったし、今回の旅の宿にもバスタブはなかった。こんなに長い間シャワーだけで過ごすのは生まれて初めて。

生い茂る木々の間をてくてく歩いて行くと、三角錐に刈り揃えられた不思議な木の並ぶ庭が見えて来た。入っていくと奥の建物に大きく「テルメ(温泉)」と書いてある。
「ここだ、ここだ、、、♪」
重い扉を押して中に入る、と大理石でできた床にパステルトーンのソファーが並ぶロビーが広がった。お風呂やさんの番台をイメージしていたので拍子抜けする。ここでは全てのものが丁寧に磨き上げられ「素敵な貴女の為のクリーンな空間ざます」と強調しているようだ。
「これは、もしやエステでは、、」
脇にあるパンフレットを手に取ると案の定、横たわった女性が顔や体に泥を塗られてうっとりしている写真がたくさん並んでいた。温泉の鉱物を利用した泥エステと書いてある。
ひと月ぶりに湯舟に浸かってゆっくり体を伸ばし、鼻歌のひとつも歌いたかった私はしょんぼりして、今来た道を引き返した。


しかし、世の中まんざらすてたものでもない。とぼとぼ湖畔を散歩していた私は、ウォーキング中の老人4人組と知り合い、シルミオーネ一帯を案内してもらうという幸運に恵まれた。
ナンダさんをはじめとする2組の老夫婦は、いかにも温暖な土地ですくすく育ったという穏やかな人達だった。
シルミオーネ3
「ここは、島で一番パノラマの美しいところよ」
「この教会の壁画の意味は、、、」
と、ゆっくり説明してくれる。正直半分程しか理解できなかったけど、どれくらいこの土地を愛し誇りに思ってみえるかは、120%伝わってくる。5人で散歩していると、私もこの土地で生まれ育ったような不思議な気持ちになってきた。
旅先で土地の人と接するのは楽しい。どんな美しい景色や歴史のある建物よりも、ナンダさん達こそが私にとってのシルミオーネとなった。
何も買い物はしなかったけど、5人並んで撮ってもらったスナップ写真だけが手元に残るだろう。
「これは、あなたの一番のお土産になるわよ」
そう言って微笑んだナンダさんの皺いっぱいの目元が忘れられない。



・今日のフレーズ・
Voglio immergermi nel bagno.ヴォーリョ インメルジェルミ ネル バーニョ 
お風呂に浸かりたい

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